「カテゴリー」の分類は本校の学部編成と必ずしも一致しません。

意匠

  1. 英国製のテンプレート(Maco Template)
  2. 東京高等工芸学校・校旗
  3. 縄文式土器
  4. 横長の草花・水彩画(額入り)
  5. 彫像「叫ぶ男」、堀進二作

英国製のテンプレート(Maco Template)

[製造年]昭和3年の製品。

[製造会社]

[付属品等]

[サイズ(cm)]21 × 14 × 5

[重量(kg)]0.8

[寄贈箇所など]

[備考]
大正12年に東京高等工芸学校に開設された木材工芸科は昭和19年に東京工業専門学校と改称され、同学科は木材工業科となりその中の第ニ類分野に入った。昭和26年に工学部となり、建築学科の室内・木材工芸講座として残るに留まった。昭和27年に千葉大学工業短期大学部が新設されたが、その中に昭和32年に木材工芸科が復活されて同53年まで木材工芸科の名称が引き継がれた。このテンプレートは、物体の外形(輪郭)を同一寸法で写しとるもので、昭和3年に木材工芸科で購入した備品です。

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東京高等工芸学校・校旗

[製造年]

[製造会社]

[付属品等]

[サイズ(cm)]113 × 96.5 × 3.5

[重量(kg)]

[寄贈箇所など]

[備考]
千葉大学の前身である「東京高等工芸学校」は大正10年12月に公布され、良く1年に設置された。大正13年11月に校歌制定と開校式が挙行され、昭和3 年9月19日に校旗が制定された。校旗の意匠は、聖火を中心にマーキュリーの白い羽をあしらい、画筆とハンマーを添えて「工業と美」、「造形と工学」の総合をシンボライズした校章をパターンとしている。地色は火を表す朱色と鉄を表す青灰色に染め分けられた(この朱色と青灰色に染め分けられた校旗は工学部・松韻会館のホール左側に額入りで飾られているが、永い歳月により色褪せてしまった)。資料室にある校旗はその後に作られたもので、校章と同じく地色が各科を表す7色に染められている。

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縄文式土器

[製造年]

[製造会社]

[付属品等]

[サイズ(cm)]30 × 30 × 32

[重量(kg)]

[寄贈箇所など]

[備考]
 

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横長の草花・水彩画(額入り)

[製造年]

[製造会社]

[付属品等]

[サイズ(cm)]167 × 57 × 3.5

[重量(kg)]

[寄贈箇所など]

[備考]
 

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彫像「叫ぶ男」、堀進二作

[製造年]1952年

[製造会社]

[付属品等]

[サイズ(cm)]75 × 110 × 230

[重量(kg)]

[寄贈箇所など]

[備考]
堀進二先生(1890-1978)は昭和26-33年の約5年間、千葉大学工学部工業意匠学科の教授として彫塑およびその実習を指導されました。「叫ぶ男」は彫像を教授する傍ら、地元の労務者をモデルに制作し、日展運営会参事として第8回日展に出品した作品です。本学を去る時に記念として大学に寄贈されたものです。堀先生は東京・赤坂生れで14才の時に太平洋洋画会研究所に入り、新海竹太郎に師事して塑像とデッサンを学び、明冶44年(1911)に太平洋洋画会正会員となる。その後、「文展」「帝展」に数々の作品を発表し、両展の審査員、東大講師、東工大講師を歴任した。昭和33年に新日展発足と共に日展評議員となり、作品の発表と審査員を務められ、太平洋美術学校の校長となられました。第3回新日展に出品された「人海」で昭和35年度日本芸術院賞が贈られました。

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